神社の社格制度という言葉をご存知ですか?
ところによっては神社の鳥居の前に大きな石碑が建ち、旧官幣社とか延喜式内社という文字が刻まれています。
戦前から現在に至るまで、形を変えながら続く神社の格式について解説しましょう。
■律令制度によって定められた神社の格付け
社格とは、国家が定めた神社のランクです。この社格制度の歴史は古く、720年(養老4)に成立した正史『日本書紀』の「崇神紀」7年(紀元前91)の条に、「天社・国社」と定めたことが記されていて、これを社格の始まりとする説があります。
『日本書紀』が成立した7世紀頃に、国家の基本法を定めた律令が成立しました。
神社も律令制度のもと制度が整えられましたが、社格もそのひとつ。その後、927年(延長5)に完成した、『延喜式』の「神名帳」に記載された神社を「官社」(式内社)と称したのです。神祇官が神祇への供物である幣帛を奉献した「官幣社」と、国史が幣帛を奉献した「国幣社」に分け、さらにその中で大社・小社に格付けがなされました。
1871年(明治4)、明治政府は神社を「国家の祭祀」と宣言し、神社は新たに官社と諸社に分けられます。そのうち官社は「官幣社」「国幣社」に区別する新たな近代社格制度が定められました。
この近代社格制度は、戦後の1946年に廃止されたため、現在はありません。しかし、神社本庁が「別表に掲げる神社」とした特別な神社があります。この神社は、神職の役職員進退に関する規定において、特別な扱いをすることと定められています。
旧官幣社や旧国幣社など規模の大きい神社がこれにあたり、社格制度の廃止によって伊勢神宮を除き、すべての神社は対等の社格となったのです。
■かつて最も格式が高いとされた「一の宮」
平安時代後期、新たな神社の格式として「一宮制」が成立します。
一の宮とは、各国(律令制による地方の行政区分)の中で、最も格式が高いとされる神社のこと。中央政府から諸国に派遣される行政官・国司が、任地において最初に参拝すべき神社とされ、これを国司神拝といいました。
この一の宮の選定基準としては、『延喜式神名帳』に記載された式内社から、その国の中で最も崇敬を集める格式の高い神社が選定されたのです。全六八州と2つの島に一社ずつ存在しましたが、時代の推移と共に複数の一宮が所在する場合も。
近代社格制度においては、一の宮の多くが官国幣社や国幣大社に列せられたことが多かったのです。
神社の格式は、表向きは姿を消しましたが考えとして今も色濃く残っているといえます。
一度、神社を訪れる際にはかつての社格についても思いを馳せてみると違った感慨にふけることができるかもしれません。