埼玉縣護國神社の御朱印 | 御朱印と寺社旅の情報マガジン「ご朱印びと」

埼玉縣護國神社の御朱印



埼玉縣護國神社の御朱印

埼玉県さいたま市にある埼玉縣護國神社の御朱印です。

 

氷川神社がある大宮公園の一角に鎮座する埼玉縣護國神社

埼玉縣護國神社の御朱印

埼玉縣護國神社の祖となる埼玉県招魂社が設立されたのは昭和9年のこと。鳥羽伏見の戦いなどの戦いで亡くなった英霊は、ゆかりの地で祀られていましたが日露戦争以降になると英霊の数も増えて春と秋の2回に分けて県下慰霊安鎮の祭が行われるようになります。

その後、1931年(昭和6年)に満洲事変が起きて英霊の数は2,600柱を超えます。そこで2年後の1933年、埼玉県招魂社建設の計画が立てられることに。県民の総意によって、現在の大宮公園の西に建設場所が定められると翌年には近衛師団長・朝香宮殿下の列席のもと、盛大な鎮座祭が行われて創祀されました。

 

神社制度の改正で埼玉縣護國神社に改称

1939年(昭和14年)の3月に神社制度が改正されると、名称を埼玉縣護國神社に変更します。
戦後は1948年に社名を一度「埼霊神社」と改称しましたが、埼玉県内の崇敬者の総意で元の埼玉縣護國神社に戻しています。
現在は5万を超える英霊の御霊をお祀りしています。

埼玉縣護國神社の御朱印

境内には、まだ建てられて日の浅い特攻隊の像がありました。

花の時期ではなかったのが残念ですが、特攻隊の出撃基地となった知覧から移植した特攻花が植えられていました。特攻花の正式名称は金鶏草というそうです。碑には以下のような文章があったので転記します。

昭和二十年沖縄戦線に朝食も取らず飛び立つ特攻隊員に宿の親子が摘んで来た花束を手渡して武運を祈りました。 特攻隊員はその親子を訪問飛行して出撃して行きました。開聞岳上空にさしかかりこのはな束を機上から投下して沖縄戦線にむかいました。その後、開聞岳南側にこの花が咲き誇り地元では特攻隊員一人一人の魂の入った特攻花として大切に育てています。  毎年夏の二十六夜参りには、この花の種を配り特攻隊員の冥福を祈っています。

宿の親子とは、知覧の母・鳥濱トメさんのことを指すのでしょうか。

 


この御朱印はここでもらえます

埼玉縣護國神社

御祭神:埼玉県出身の英霊51,180柱の御霊
旧社格:旧指定護国神社

埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149

埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149
この記事を書いている人:大浦春堂(syundo ohura)
編集者とか旅ライターとかやってます。著書は『神様が宿る御神酒』(神宮館)、『神様とつながる暮らし方』(彩図社)、『御朱印と御朱印帳で旅する全国の神社・お寺』(マイナビ出版)は4刷目。
観たり、食べたりしたものはブログにて写真たっぷりめで更新中。お仕事のご依頼・ご相談はコンタクトフォームからお願いします。

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