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輪王寺の御朱印

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輪王寺の御朱印

東京・上野にある輪王寺の御朱印です。
輪王寺ときくと年末のテレビCMの印象が強く、日光にある日光山輪王寺が浮かびます。

 

なぜ日光と上野に「輪王寺」? その歴史を辿ってわかった

[blockquote cite=”天台宗東京教区 |寺院紹介 より引用 ” citelink=”http://www.tendaitokyo.jp/jiinmei/rinnoji/”]後水尾天皇の第3皇子、一品守澄法親王は、承応3年(1654)には正式に東叡山主の座につき、次いで、翌明暦元年には天台座主ともなられて、東叡、比叡、日光の三山を兼帯された。世に言う「三山管領宮」の始めである。更に、翌2年の11月26日には、守澄法親王に対し、「輪王寺宮」の称号が勅賜された。ただ、正確に言えば、江戸時代には輪王寺という寺は存在しない。上野は寛永寺であり、日光は満願寺であって、その両山の山主が輪王寺宮という訳である。言い換えれば、輪王寺という名は、宮様個人の称号で、寺号ではなかったのである。[/blockquote]

ややこしいようですが、要約する前に「門跡」という言葉を知っておく必要があります。門跡とは、皇族や皇族にゆかりのある貴族が住職を務める寺院や、その寺院の住職を指す言葉です。当然ながら、寺格の高い寺院だけが門跡を迎えることができました。

上記の引用文では、守澄法親王が門跡として東叡、比叡、日光の三山で天台座主の職に就かれた旨が解説されています。そして「輪王寺宮」という名前を賜っていますが、これは宮様としての称号だったのです。つまり、皇太子殿下の弟君・文仁親王を「秋篠宮」様と呼ぶのと同じ称号だといえばわかりやすいでしょう。

明治維新の動乱期に戊辰戦争が起きると、現在の上野公園の一帯は戦禍により灰燼に帰します。15世・輪王寺宮であった公現法親王が還俗すると、宮様の称号は廃止され神仏分離令によって日光の輪王寺は満願寺、上野の輪王寺は寛永寺として旧名に戻されることになります。

しかし、東京で唯一の門跡寺院でもあり、「輪王寺宮」の称号が途絶えてしまうことを惜しんだ2つの寺院は政府に嘆願し、1885年(明治18年)に「輪王寺門跡」の称号が復活するのです。

 

上野の輪王寺は通称「両大師」と呼ばれるワケ

上野の寛永寺は通称・両大師と呼ばれ、山門には写真にような立て札が建っています。これは、寛永寺の開山した天海僧正を祀る「開山堂」があること、そして天海が崇敬していた慈恵大師を併せて祀ったことに由来し「両大師」と呼ばれるようになったそうです。

山門の右には「両大師」、左には「東叡山寛永寺 開山堂」と掲げられています。

 

御朱印は本堂の中でいただける

江戸庶民のみならず、多くの武家や貴族達の行楽地であった上野の山ですが、彰義隊が陣を敷き政府軍が火を放って追撃したために、あらゆる建造物を焼失させた戊辰戦争。その戊辰戦争でも開山堂は奇跡的に焼け残りましたったが、平成元年に火災に遭ってしまいます。結果、1781年に再建された開山堂、1792年に再建された本堂は焼失します。(寛永寺に関係する「勅額火事」により、一度焼失しています)
下記の写真にある、現在の本堂は1993年に再建されたものなのです。

御朱印は、この本堂の内部にて授与いただけます。

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この御朱印はここでもらえます

輪王寺

山号:東叡山
宗派 天台宗
寺格:門跡寺院
ご本尊:阿弥陀如来

東京都台東区上野公園14-5
[map]東京都台東区上野公園14-5[/map]

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