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露天神社(お初天神)の御朱印

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露天神社(お初天神)の御朱印

大阪にある露天神社(つゆてんじんしゃ)、通称・お初天神の御朱印です。
江戸時代の戯作者・近松門左衛門による浄瑠璃『曾根崎心中』に登場する、お初と徳兵衛の押し印が入っています。

 

露天神社はJR大阪駅の傍に建つ、1300年を数える古社

露天神社(お初天神)の御朱印

ビジネス街の一角にある露天神社は、別名・お初天神とも呼ばれる神社です。
社伝によれば鎮座する曽根崎がまだ大阪湾に浮かぶ曾根崎洲という小島だった頃、住吉須牟地曽根ノ神を祀ったのが始まりとされています。曽根崎の地名は、この御祭神の名前によるものだといいます。

詳しい創建年代はわからないものの、古代難波の地で中央政府の管理下で執行されていた祭祀「難波八十島祭」が行われていた一社でした。史書では850年(嘉祥3年)、文徳天皇の時代にその記述をみることができるそう。そのため、創建1300年を超える古社であることがわかります。

1330年代から始まる南北朝時代には、小島だった曾根崎洲も陸続きになります。人が移り住み、田畑が開かれて露天神社は曽根崎の鎮守とする曽根崎村が誕生します。

 

鉄道開業に伴い、大阪「キタ」の総鎮守となった露天神社

露天神社(お初天神)の御朱印

1894年(明治7年)に大阪駅、1925年(明治38年)には阪急電鉄 梅田駅が開業します。これにより、曽根崎は大きく栄えていくことに。それに伴い、露天神社は梅田や曽根崎という大阪の「キタ」の総鎮守として発展していきます。

現在の社殿は1945年(昭和20年)に空襲を受けて焼失し、戦後しばらく建ってからの1957年(昭和32年)に再建・造営されたものです。

露天神社(お初天神)の御朱印

社殿の手前には注連柱と呼ばれる柱が左右に建っていますが、なんと第二次世界大戦時に飛来したグラマン戦闘機による機関銃の弾痕が残っていました。社殿は燃えてしまいましたが、石造りのこの柱はこうして当時の戦禍の名残を今に伝えています。銃弾のあとがとても生々しいです。

柱にはお祀りしている大神が医学や薬学、除災のご神徳があること。そして人々はその恩恵を受けているという意味の言葉が刻まれているそうです。

 

露天神社はなぜ「お初天神」と呼ばれるの?

江戸時代の戯作者・近松門左衛門が実際に起きた心中事件をベースに書いた人形浄瑠璃の演目で、のちに歌舞伎でも演じられるようになりました。
事件は1703年(元禄16年)の4月7日、露天神社にある天神の森で起きました。堂島新地にある天満屋の遊女・お初が同意のもと殺害され、お初を殺害した油問屋 平野屋の手代・徳兵衛も自殺して果てます。この事件を近松門左衛門が人形浄瑠璃の演目と『曽根崎心中』して劇化し、大当たりします。

事件の現場となった露天神社には参拝者が押し寄せ、やがて曽根崎心中にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったそう。

2004年(平成16年)には、お初と徳兵衛を偲ぶブロンズ像が建てられました。2013年(平成25年)には、二人がこの地で永遠の愛を誓ったことから「恋人たちの聖地」として選定されています。

 

この御朱印はここでもらえます

露天神社(お初天神)

御祭神:大己貴大神、少彦名大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真
旧社格:村社

大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
[map]大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4[/map]

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