若一神社の御朱印 | 御朱印と寺社旅の情報マガジン「ご朱印びと」

若一神社の御朱印



若一神社の御朱印

京都にある若一(にゃくいち)神社の御朱印です。社紋は平家ゆかりの神社らしく蝶々、「平清盛公西八条殿跡」の印があります。

清盛ゆかりの「平清盛公西八条殿跡」とは

若一神社の御朱印

神社の起こりは、平安時代の末期に平清盛が神社のあるこの場所に別邸を建てたことに始まります。
当時、清盛は六波羅に住まいを構えていましたが、風光明媚なこの地が気に入ったようで別邸を建てたのです。
別邸は「西八条御所」と呼ばれました。
1166年、熊野詣に出かけた清盛は夢でとあるお告げを受けます。
西八条御所の地中に、若一王子のご神体が埋まっているので掘り起こしてお祀りせよというのです。

若一王子とは、熊野神社の末社・諸王子の中の第一位に列せられる神仏習合の神様のことでした。

戻った清盛が地中を邸内を掘らせると、お告げのとおりご神体を発見します。
清盛は早速、神社を造営してご神体を祀り開運・出世を祈りました。
すると翌年、太政大臣を任官されたのでした。

このため、若一神社は開運出世の神様として崇められることになったのだそう。

 

清盛ゆかりの遺物が多く残される社内

若一神社の御朱印

境内には、清盛ゆかりの遺物を間近にみることができます。写真の井戸もそのひとつ。
力を盛り返した源氏との戦いを強いられた晩年、清盛は熱病にうなされます。
その体を冷やすために使ったと伝わる水はこの場所で汲まれたのだといいます。

また、神社の入り口の前に大きく枝を伸ばした樟が建っています。

清盛が自ら植えた木だそうですが、ちょっとしたいわくがあるようです。

「西大路通にはみ出す清盛手植えの大楠は、工事のため除こうとすると事故や不幸が襲ったという。」
『平清盛と京都の史跡』(鳥越 幸雄 著/PARADEBOOKS )より引用

「ある時,枝が邪魔だとかで木に登り,枝を切った人が落ちて死んだという話がある。」
『路 千本と朱雀大路』(明永 恭典/編 星光社)より引用

地元の人からは、このような話が伝わっていて今でも平家の祟りがあると恐れられているのだとか。
そのため、昭和9年に神社を移転させて公道を整備するという話が持ち上がった際、この木を誰もが切ることを拒んでしまい、結局は木を避けて工事をし、公道は迂回するようにして開通したといいます。

信じる信じないは意見が別れるかもしれませんが、それだけ地元の人からは信仰をあつめている神社である、とも考えられますね。

 

若一神社

ご祭神:若一王子
旧社格:無格社

京都府下京区七条御所ノ内本町98

京都府下京区七条御所ノ内本町98

 

この記事を書いている人:大浦春堂(syundo ohura)
編集者とか旅ライターとかやってます。著書は『神様が宿る御神酒』(神宮館)、『神様とつながる暮らし方』(彩図社)、『御朱印と御朱印帳で旅する全国の神社・お寺』(マイナビ出版)は4刷目。
観たり、食べたりしたものはブログにて写真たっぷりめで更新中。お仕事のご依頼・ご相談はコンタクトフォームからお願いします。

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